
かつては「夢の建材」と呼ばれ、日本の高度経済成長を支える有用な建材として、あらゆる場所で使われていたアスベスト。しかし今、その名は「静かな時限爆弾」という異名に変化しました。
アスベストの使用自体は2006年に原則禁止されましたが、問題は終わっていません。むしろ、禁止以前に建てられた数多くの建物が解体時期を迎える今が、新たに危険な局面と言えます。
なぜアスベストは危険なのか、法律はどう変わってきたのか、そして現場では今、何が求められているのか。本稿では、アスベスト問題の全体像と、実務で最低限知っておくべきポイントをお伝えしていきます。
「夢の建材」から「静かな時限爆弾」へ

まずは、アスベストがどのようなものか、その基本から見ていきます。かつて重宝された素材が、なぜ今、大きな健康リスクとして恐れられているのでしょうか。
なぜアスベストは広く使われたのか
アスベストは、熱や摩擦に強く、電気を通さず、防音性にも優れ、しかも安価であったため、まさに「夢の建材」でした。その使い勝手の良さから、3,000種類以上の製品に使われ、その多くが建築材料でした。特に、日本の経済が急成長した1970~1990年代にかけて、ビル、工場、住宅、学校など、あらゆる建物の建設に大量のアスベストが使われたのです。
このように、アスベストはその便利さから社会の発展に貢献しましたが、その「丈夫で分解されにくい」という最大の長所が、後に深刻な健康問題を引き起こす原因となってしまいました。
なぜ危険なのか、社会問題になった背景
アスベストの本当の恐ろしさは、髪の毛の1/5000という目に見えないほど細い繊維にあります。建物の解体や改修工事で発生したアスベストの繊維は気づかれないうちに吸い込まれ、肺の奥深くに留まり続けます。そして、数十年という非常に長い時間をかけて、肺の細胞を傷つけ、やがて深刻な病気を引き起こすのです。
この「潜伏期間の長さ」が、アスベストが「静かな時限爆弾」と呼ばれる理由です。すぐに症状が出ないため、危険性が社会に広く認識されるまでに時間がかかり、そしてその間にもアスベストは使われ続けました。
社会がアスベスト問題の深刻さに気づく大きなきっかけとなったのが、2005年の「クボタショック」です。大手機械メーカー「クボタ」が、自社の旧工場周辺の住民にアスベストが原因とみられる健康被害が多発していることを公表したこの事件は、日本社会に大きな衝撃を与え、翌年の原則使用禁止へとつながる転換点となりました。
アスベストによる健康被害と、もしもの時の救済制度

アスベストは人体にどのような影響を及ぼすのでしょうか。ここでは、具体的な病気の症状から、万が一被害に遭ってしまった場合の給付金や補償といった救済制度まで、詳しく解説します。
どんな病気になるのか?(症状と潜伏期間)
アスベストを吸い込むことで引き起こされる代表的な病気には、以下のようなものがあります。
- 悪性中皮腫(あくせいちゅうひしゅ)
肺を覆う膜(胸膜)などにできる、極めて治りにくいがんです。アスベストが原因で発症する代表的な病気で、潜伏期間は20~50年と非常に長いのが特徴です。初期症状としては、息切れや胸の痛みなどが現れますが、早期発見が難しい病気です。
- 肺がん
アスベストは肺がんのリスクも高めます。特に、タバコを吸う人がアスベストを吸い込むと、肺がんになる危険性が50倍以上にもなると言われています。潜伏期間は15~40年で、症状は一般的な肺がんと同様に咳や痰、血痰などです。
- 石綿肺(せきめんはい/いしわたはい)
肺が硬くなり、呼吸が苦しくなる病気です。潜伏期間は10年以上とされています。進行すると呼吸困難を引き起こします。
参考:独立行政法人 環境再生保全機構
これらの病気は、一度発症すると根治が難しく、特に悪性中皮腫の予後は非常に厳しいのが現状です。治療法は進歩していますが、症状を和らげる対症療法が中心となることも少なくありません。
被害の現状(被害者数など)
アスベストの使用がピークだった1970~80年代に働いていた方々が、今まさに発症の時期を迎えています。そのため、アスベストの使用が禁止されてから長い年月が経った今でも、中皮腫で亡くなる方の数は増加傾向にあり、2022年には約1,500人に達しました 。被害者のピークはまだ先になると予測されており、今後も警戒が必要です 。
もし被害に遭ったら?(給付金・補償などの救済制度)
アスベストによる健康被害に遭われた方やそのご遺族を救済するための公的な制度が設けられています。主に3つの制度があり、申請することで給付金や補償を受けられる可能性があります。
労災保険
対象者:仕事が原因でアスベスト関連の病気になった労働者やその遺族。
内容:治療費や休業中の賃金補償、遺族への年金などが給付されます。
申請先:事業所の所在地を管轄する労働基準監督署。
参考:独立行政法人 環境再生保全機構
石綿健康被害救済制度
対象者:工場の近くに住んでいた方や、労災保険の対象とならない自営業者の方など。
内容:医療費や療養手当、遺族への弔慰金などが支給されます。
申請先:独立行政法人環境再生保全機構(ERCA)や市区町村の窓口。
参考:独立行政法人 環境再生保全機構
建設アスベスト給付金制度
対象者:建設現場で働き、アスベストが原因で被害に遭われた労働者や一人親方、その遺族。
内容:訴訟を起こさなくても、国から最大1,300万円の給付金が支給されます。
申請先:厚生労働省(労働基準監督署経由での請求も可能)
参考:厚生労働省
もしご自身やご家族に心当たりがある場合は、これらの制度の利用を検討し、専門機関に相談することが重要です。
いつから禁止?日本の法規制の歴史

「アスベストはいつから禁止されたの?」という問いの答えは、実は単純ではありません。規制は長い年月をかけて、段階的に強化されてきました。
- 1975年:特に危険な「吹付けアスベスト」の作業が原則禁止。
- 1995年:毒性が特に強い「青石綿」と「茶石綿」の使用が禁止 。
- 2004年:スレート屋根や壁材など、身近な建材10品目について、アスベスト含有率が1%を超えるものの製造が禁止。
- 2006年:アスベスト含有率が0.1%を超える製品の製造・使用が原則として全面的に禁止。また、規制対象のアスベストの種類が3種類から6種類へと変更になる。アスベストが禁止された年の基準。
- 2012年:一部残っていた例外も撤廃され、完全禁止 。
この歴史を知ることは、建物の建築年に応じて「どのくらいアスベストのリスクがあるか」を推測する上で役立ちます。
【重要】 ただし、現在の法律では「2006年9月1日以降に着工したことが書類で証明できる場合」などを除き、建築時期だけで「アスベストなし」と判断することは絶対にできません。必ず定められた方法で調査する必要があります。
「禁止後」の今、現場で求められること

アスベストの使用が禁止された今、問題の焦点は過去に建てられた膨大な数の建築物へと移っています。ここでは、最新の法改正の内容と、解体・改修の現場で今まさに求められている具体的な対策や注意点を解説します。
なぜ今もアスベスト対策が必要なのか
アスベストの新規使用が禁止された今、問題の焦点は、過去に建てられた膨大な数の既存建築物、いわゆる「レガシーアスベスト」に移っています。国内には、アスベストが使われている可能性のある民間建築物が約280万棟も存在すると推計されています 。これらの建物が老朽化し、2028年頃には解体工事のピークを迎えると予測されています。もし不適切な解体工事が行われれば、大量のアスベストが飛散し、作業員だけでなく近隣住民にも深刻な健康被害を及ぼす可能性があります。
最新の法改正と現場で守るべきルール
こうしたリスクを防ぐため、近年、法律は大幅に強化されました。特に重要なポイントは以下の通りです。
- 事前調査の完全義務化:解体・改修工事を行う前には、工事の規模に関わらず、必ずアスベストの有無を調査しなければなりません。
- 有資格者による調査の義務化(2023年10月~):建築物のアスベスト調査は、「建築物石綿含有建材調査者」などの専門資格を持つ人でなければ実施できません。
- 調査結果の報告義務化:一定規模以上の工事では、アスベストの有無にかかわらず、調査結果を国に電子報告することが義務付けられています。
- 罰則の強化:違反した場合、懲役や罰金といった厳しい罰則が科せられます。
現場での注意点(実務的課題)
法律が厳しくなっても、現場では様々な課題があります。
- 「隠れアスベスト」の問題:リフォームなどで壁や天井の裏にアスベストが隠れてしまっているケースがあり、見ただけでは分かりません。徹底した調査が必要です。
- 過去の分析データの信頼性:2006年以前の古い「アスベスト不検出」の報告書は、現在の厳しい基準では「含有」と判断される可能性があります。昔のデータを鵜呑みにするのは非常に危険です 。
まとめ

アスベストの歴史は、経済的な利便性を優先した結果、未来に大きな健康リスクという負債を残してしまった教訓と言えます。法規制は後手に回りましたが、現在では非常に厳格なルールが定められています。
これからアスベスト関連の業務に携わる皆様にとって、法令を正しく理解し、遵守することは、自分自身や周囲の人々の健康を守るだけでなく、事業のリスクを管理する上でも不可欠です。
「何から手をつければいいかわからない」「このケースはどう対応すれば?」など、アスベストに関する調査や法規制への対応でお困りの際は、専門家のサポートを受けることが最も安全で確実な道です。ぜひ、専門家が集う「石綿の窓口」までお気軽にご相談ください。皆様の事業を、確かな知識でサポートします。
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